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第一章 北九州から世界を揺らす  振動源「ユーラス」の誕生と発展 1.「そこのけそこのけモータが廻る」セメント窯用脇役が主役に (昭33年(1958))

2025-04-01
カテゴリ:ユーラスとともに40年
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 「おおい 危ないから離れてろー」スイッチを入れる直前、電気担当のWさんが、新しいテスト機の運転状況を見ようと集まってきた見物の関係者に大声で注意をして、一呼吸入れてからおもむろにスイッチを入れた。
 「こんな大きな錘が付いていてまともな運転が出来るのだろうか?」、「振動が大きいだろうな」などと勝手に話し合っていた関係者が一瞬息を止めて見守った。
 予想以上の騒音で機体は派手に振動を始めた。最初の間は遠巻きにしていた見物人も段々馴れてきてすぐ近くまで寄ってきて眺めだした。相変わらずモータの方は狂ったように騒音を出して振動し続けている。テスト記録を担当していた私は、早速電気的特性、 外見の運動の状況を記録した。今から40年以上も前の「ユーラス」<1用語1>の誕生劇の一コマである。
 勿論この時の機体は「ユーラス」ではなく、ドイツのL社からの輸入品で、それも大手セメントメーカのO社から2台預かってテストするという目的の運転であった。
 そもそも話の発端は、上記O社のM専務からの依頼で、このL社の機械と同じ性能の特殊モータを製作して欲しいと言う事だった。 このような経緯があって、ある日見慣れないモータが2台安川電機の研究所に届いた。まずはテスト運転して見ようと言うことになり、クレーンで吊り下げて電源を繋いだ。どんな挙動をするか全く想像が付かないので、「みんな離れて!」と言うことで怖々スイッチONとなった。それが冒頭の場面である。

 本来、電動モータは、回転バランスがとれていないと運転中に振動を生じ、モータ自身にも、駆動する相手機械にも、いろいろ不都合が生じる。これまでのモータ製造の歴史は、機械的観点からは、如何に振動の少ないものを作るかに絞られていたと言っても良い。その基本的な事項を無視して、あろう事か大きなアンバランス錘を両側に付けて振動を発生させようと言うものであった。
 基本的な特性を記録した後、直ちに軸受けの耐久テストを行うことにした。万一事故が あっても他に類を及ぼさないように屋外に出して屋根を付けて昼夜連続運転を行った。結果的には僅か67時間で軸受けが焼損した。それ以来振動モータの製品開発はこの軸受け寿命との戦いに終始したと言っても過言ではない。それには軸受材料の進歩、軸受けメー カの努力も大いに預かったが、関係者の弛まぬ努力により、現在基本的には寿命1万時間を保証する迄になっている事を思えば隔世の感がする。
 当時は、新しい技術・製品は海外からノウハウ、現物を輸入して、まずデッドコピーを作り、徐々に性能・生産性を向上させて行くことが当然の風潮であった。この場合も、多分に漏れずその経過を辿った。この点では決して独創性のある製品ではなかったが、その後の成長により現時点では世界のダントツの機種数生産量を誇るまでに成長した。
 これも、これまでの日本の製造業が辿った軌跡のミニチュア版といえよう。
 
 話を元に戻して、昭和30年代の初頭頃、セメント業界は、新規設備投資特に主役の 焼成キルンの増設を抑えられていて、その制約の中で、如何に増産を行うかに頭を悩まし ていた。この時期にキルンでの本焼成の前に予備焼成を行う窯、いわゆる 「B窯」が設置され、効果を上げていた。このB窯の操業をスムーズに行うために振動モータが採用され、これに便乗して成長したのがわがユーラスである。当時は振動モータに関する基本的な外国特許が存在するかどうかまでは調査が間に合わなかったため、とりあえずダミーとして、協力会社の村上精機に製造を委託した形になっていた。その後の発展を振り返ると、いささかこじつけめくが、レコードでいえば 「B面」 で発売された曲の大ヒットに似ている。

 製造を始めた当時はこの分野だけの需要であったが、貯槽の中の粉体を、スムーズに排出する手段として、B窯にこだわらず、大量に粉粒体を扱う分野への売り込みを始めた。ユーラスの営業担当は、当時安川電機の子会社として発足間もない安川商事であった。当時の担当者の昔話を聞くと、他に売り物の商品が殆どなかった事もあって、当時まだ無名のユーラスを、がむしゃらに営業活動を行って苦労したことを聞かされた。最初に100台の大台を突破した時は銀座で派手に祝杯を挙げたという事もあったそうだ。40年以上も前の事で、その後軌道に乗り、最盛期には月に3千台以上もの売上げ実績を果たした。
 生産開始以来これまでの累計生産量は80万台(2025年度100万台)に近づいている。この数値は大量生産される家電品などに比べると微々たる数値であるが、世界中の他の同機種のメーカの実績と比較するとダントツの数字である。現在は、関連業界が構造的な不況時代にある。特にユ ーラスのお得意先である、建設・原材料処理分野の低迷が続いているので、最盛期に比べ てかなり売り上げが低下している。このままで推移すれば、私の退職時点では米寿になった頃に到達出来ると期待していた100万台の大台を、生存中に突破するのは怪しくなっ てきたが、是非私の眼の黒いうちに達成して貰いたいものである。それまでは何としても元気でいたい。

<1用語1> ユーラス (Uras、 揺拉): 本文にもあるようにものを 「揺らす」 から来た、安川電機の登録商品名の電動式振動発生装置である。通常の3相交流電動機の回転軸の両端に、扇形のアンバランス重錘(扇の要の処に孔がある。)を取り付けて固定し、これを回転させて振動を発生させる。強力な振動を発生するため、電動機の特性・構造もそれに合わせたものとなっている。
<1-1挿話1> 小便くさいガキから立派に成人 「ユーラス」の名付け親論議
 振動モータ開発の依頼は、上述のようにO社のM専務から安川電機へ直接行われたという説と、一方同じM専務から明治専門学校(通称「明寧」現九州工業大学)の先輩である村上精機の社長(当時)へなされたという2つの説があるが、どちらが真相か今となっては不明である。多分両方共あったのだろう。
 「ユーラス」の名称は、安川電機のT常務(当時)が、ものを「揺らす」と言う意味で命名されたものである。その数年後台湾へ輸出する際に、先方に商標登録を行ったときには「揺拉」と言う字を使ったと聞いた。「拉」という漢字は、北朝鮮への拉致問題が表面化した今でこそ馴染みのある漢字となったが、当時はそんな字があったのかと思う程使われていない漢字であった。
 今では、このT常務が名付け親と言うのが通説だが、私は当時の上司からはM専務 (当時の安川電機の専務)と言うことを聞いている。いずれにしても機械に名前が付いたのは、冒頭に述べた最初のテストのシーンからは大分後のことである。
 「ユーラス」という名前が発表された当初は、関係者一同 「ふざけている」 という批判が強く、私もその一人であったが、今ではユーザーの間での知名度は高く、「ユーラス」 と云えば振動電動機の代名詞と言われるまでになっている。私自身の不明を恥じると同時に、此処まで地位を高めて来た関係者の努力には頭が下がる思いだ。またそのメンバーの端くれに名を連ねていることに誇りを感じるものである。
 今でこそ機械・電機製品に和風の名前を付けるのは珍しくなくなったが、40年も昔には大変珍しく、今になってみるとなかなか洒落たセンスだったと思う。時は流れて、ユーラスが押しも押されもしない地位を獲得した頃になると、真面目な新入社員の中には、英語の辞書でこの「ユーラス」(Uras)を引いたものも多くいたそうである。勿論辞書に出ている筈もないが、その近くに 「尿」に関連した言葉が多いことに奇妙な感じを持ったに違いない。
<1-1挿話2> B面ヒットとの数々 レコードの想い出
 先に、ユーラスは「B面」曲のヒットにも似ていると書いたが、ある年代から下の人達には、解りにくいかとも思うので、少し補足しておきたい。
 現在の音楽商品はMDや、CDが全盛で、こういったものは片面にしか録音されていないが、昔のレコード盤は両面に録音されていた。主役は第1面(A面)で、裏の第2面は 「B面」と称し、いわばついでの録音で、どうでも良いような曲や、まだ売れていない新人の曲などが入っていた。 営業政策上、 主役の曲がA面B面両方に録音されることは殆どなかった。
 流行歌の世界は何時の世でも競争が激しく苦心して売り出した歌が一向に売れず、予想もしなかった曲が大ヒットする事がしばしばあった。所謂「B面の曲」の大化けである。A面より人気が出た有名な例に、千晶夫の土壇場のヒット曲「星影のワルツ」、小林幸子をスターにのし上げた「思い出酒」、石原裕次郎のカラオケデュエットの定番「銀座の恋の物語」、先年リバイバルして大ヒットしている坂本九の「明日がある」などがある。 例外的には村田英雄の「無法松の一生」 がAB両面合体してさらに売り上げを伸ばした。
 レコードといえば、 今は余り人気がなくなったが、 私の学生時代はドイツリートが結構歌われていて、 レコードを買うお金がなかった私は、殆どレコード店主催の鑑賞会で聴くクラシック曲に混じっていたものを聴く位だった。しかし、その中で一組、正に清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったレコードがある。当時まだ駆け出しで、後に世界的なバリトン歌手として君臨したディートリッヒ・フィッシャディスカウの「冬の旅」のLPだ。当時の一月分の給料の殆どをはたいて買い求め、周囲の人をびっくりさせた。当時は友人達の間に盥回しされるほど人気があった盤だが、私の失恋の記念として今も大事に保管している。 貸した先のあちこちで大いに歓迎されて、その時に傷ついたらしく、大きなスクラッチ音が出るのもご愛敬である。
<1-1挿話3 > 暗中模索から徐々に光明 取り付けノウハウの蓄積と技術相談
 ユーラスに話を戻すが、ユーラスを取り付ける粉粒体の貯蔵容器は、ホッパ、サイロ、ビンなどと、いろいろな呼び方、形状がある。それぞれ千差万別の容量・形状に対して、最適と思われる取り付け位置、機種の選定について客先と度重なるやりとりを行って来た。取り付けに関しては、それ以前から使用されていた電磁式振動機の資料があるだけだったので、当初はこれらの数少ない資料や外国文献を翻訳してそのまま活用し、製造・営業の関係者の尽力により徐々にノウハウを積み重ねていった。当初からの採算をある程度度外視した客先への対応や、積み重ねた貴重なノウハウが、今日のユーラスに対する客先の信頼、貴重なノウハウを勝ち得ているものと確信している。
 
 後年関西空港工事の採石運搬船のホッパの排出用に、大量のユーラスが使用されたが、そのときも初期の段階で、ホッパにクラックが生じたという報告があった。全ての積み荷を排出し尽くそうとしたために、ユーラスを空運転させた事によって生じたものだろう。こういったトラブルは、その20年近くも前の発売初期の頃に何度も経験していて、これに関する対策などは、その後十分徹底させてきた積もりだったが、正しい使用方法を、地域的、時間的に徹底させることはなかなか難しいとこの時改めて痛感した。
<1-1技説1> 下駄からスキーへ ホッパへの取り付け方式の変遷
 一般的に、身近な現象では「円振動」は馴染みが薄い。振動を扱ったものの本でも、説明図は殆どが直線振動である。そのことが、当時ユーラスを無理矢理に直線振動に成るように莫大なコストと材料をかけて、振り子形にした原因の一つかもしれない。あるいは電磁式の振動に準じた効果を期待したのだろう。このように当初のホッパ用ユーラスは 前に述べたように直線振動を取り出すために、所謂「振り子形」が使用されていた。ホッパの取付け位置に、取り付けベース、いわゆる「下駄」を溶接し、それにユーラスを取り付けた。<1-1挿話3>で述べたように、ホッパの内容物が少なくなると、残り分を全部排出させようとして、空に近い状態で運転を行うことが多く、採用された初期の頃はホッパ本体を破損させることもあった。また「下駄」の溶接作業は、上向きで足場の条件も悪く、溶接不良もあって初期この頃はよく下駄そのものが損傷して、ユーラスの落下事故もあったと聞いている。
 その後何回かの試行錯誤を経て、「下駄」 式でなく、長めのL形鋼をホッパに取り付けた「スキー」式のベースを使い、「振り子形」でなく「固定形」 (標準形) がそのまま使用できる事が実証されたので、現在のように 「固定形」一本で行くことになった。
<1-1技説2 > 軽い鎧を着た元気な若武者 サンプル機からの大幅な構造の変貌
 テスト用としてO社から提供された振動モータは、400w2pの三相誘導電動機に、扇形の分厚いアンバランス錘を左右それぞれ2枚づつ取り付け、それぞれの重ね合わせ角度で遠心力を調整出来るようにしたもので、この方式は現在でも基本的に変わっていない。計算上は最大1トンの遠心力を発生するものであった。元来大形サイロなどに取り付けて内容物の流出をスムーズに行うためのもので、通常は円形の軸受けブラケットの一部を伸ばして、ここにさらに別の軸受けを取り付け、これを固定ベースに取り付けた軸に組み込むという方式をとっていた。振動モータはこの固定軸を中心にベース面にほぼ平行に振り子運動を行って、取り付けベースには上下方向の振動だけしか与えない構造になっていた。従って第2の軸受けは、回転運動ではなく揺動運動を支えるニードル軸受けであった。さらに揺動部は軸受けで支えるだけでは安定が保てずに倒れてしまうので、固定軸側からこれをゴムフランジで支えて全体が自立できる構造になっていた。しかし多くのホッパ面への取り付け例のように、斜め上向き取り付けなどの場合、 特にB窯の側面に取り付けるような例では、高温雰囲気に曝されるため、振り子部を支えているゴムの弾力が低下して、モータの自重のためぐにゃりと垂れ下がる現象が目立った。元気で暴れ回る振動モータが 「朝立ち」 が出来ず苦労したわけである。これを解決するために大幅な構造の改良を行った。即ちフランジ式から「羊羹形」のやや硬いゴムを左右に挟む方式に変更した。このように、元来そのままの運転では円振動を行う振動モータを、直線振動を出すために、取り付けベースに一体になった軸の周りに揺動させる方式を「振り子形」と称していたが、ユーラスはこの「振り子形」から出発した。こ の「振り子形」はかなり後まで昔からの顧客の一部には根強い支持があったものの、大半は次に述べる「双子形」に変わって行き、それもまた変遷して現在の単純な 「固定形」になって行った。
 
 ユーラスは振動機専用の電動機であるため、その構造・使用材料に通常の電動機とは大きく異なった点が多い。その一部は4章で詳しく述べるが、最も変わっているのは本体を構成している外皮とモータコイルである。
 小形で高速の機種を除けば、ユーラスは殆ど全てが振動機械に取り付けるため、それ自体は出来るだけ軽量化することが要求される。サンプル機は鋳物フレームの分厚い鎧を着て、足を踏ん張りいかにも頑丈そうであったが、それだけに重量・コストの点でも不利であった。開発機は、その頃から市場に出回りだした衝撃に強い鋳鉄 (ダクタイル鋳鉄) を フレーム部に採用して、上記のように基本的な改革を行った結果、衝撃に対する強度は維持したまま大幅に重量を削減させることができた。また内部のコイルについても大形機では、振動する際に最も力を受けるコイル端を樹脂で固めて寿命を延ばす処理を行った。
<1-1技説3 > 主軸も曲がる大遠心力 常識はずれの振動力へ苦心の対応
 テスト用の輸入モータに代わる自社の振動モータの開発に当っては、振り子構造の問題もさることながら、基本的な問題は主軸の曲がりの問題だった。軸端にトン単位の振動力がかかるような構造のモータは、これまでに経験したことがなかった。計算の結果、 これまでの通念をはるかに超える応カー歪みが加わることが解った。サンプル機は球面ころ軸受けを使用していたが、軸のたわみ計算値からみて、これが当然の選択と推察された。しかしいろんな面でコロ軸受けを使用することが有利なことははっきりしており、このため軸の撓みを減らすことが必要であった。ホッパ用として使用する際は間歇運転で、最大振動力からかなり絞った設定とはいえ、軸受け寿命テスト結果は、前述のようにあまりにも短いものであった。このたわみ量を減少するために、当初オーバーハング形式の片側2枚のアンバランスウエートを、軸受けを挟んで両側に振り分ける構造に変更する試みも行われたが、組み立て上の新しい問題が浮上して来たため、短期間で元の方式に戻った。但し振動ミル用などの特殊大形機には、依然として振り分け方式を採用している。
 軸の大きさを増せば撓みは急激に減少する。軸径が2倍になれば他の条件は同じとして撓みは1/8になる。しかしコスト面では軸受け及びその周辺が大きくなるので不利になる。強度の面から特殊鋼を採用しても曲がりに関する限りは基本的には改善されない。この点が初期の段階では、軸受けの型式、寸法と関連した最も大きな問題であった。
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