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~まえがき~
この自分史は、私が書こうとしている4部作の第2番目に当たるもので、昭和30年(1955)代初頭から昭和の末期頃まで私が従事した仕事に関する記録を主体にして纏めたものである。その後も約10年間同じ仕事に従事した。
私自身の年齢では20歳代の前半から60歳代までおよそ40年近くになる。大半の企業勤務者がそうであったように、この時代は生活が仕事と一体となっていた。 私はいわゆる「企業戦士」にはほど遠かったが、私なりに精一杯の生き方をしてきたつもりである。
この記録は正にこの働き盛り「朱夏」の時代の私の人生記録そのものと言ってよい。
その間に従事した仕事は、技術面をベースに開発、試験、業務、営業、 企画、 管理など 多岐に亘ったが、扱った機種は終始変わりなく、一般の人には馴染みが薄い特殊な電動機 (商品名を「ユーラス」という振動発生装置で、これが表題になっている。) と、これを中核として主に粉体 (身近な例では砂、セメント、小麦粉など) の処理用として開発・導入した機械・設備に関連したものである。この変動の激しい時代に長期間にわたって同じ機種分野だけに関わって来られたことは、見方はいろいろあろうが、私自身としては大変幸運で、大いに満足し、誇りも感じている。
この40年間はまさに山あり谷ありで、自分自身の力不足、浅慮、不可抗力、社会情勢の変化、相手の都合などに因り数々の失敗を繰り返し、絶望的になりかけた事も数限りなくあったが、常に希望を失わず、周囲の人たちに支えられ、励まされて何とか切り抜けてきた。 振り返ってみれば殆ど毎日が変化に富んだ素晴らしい日々だった。
野球にたとえれば、球拾いの補欠の段階から、ライトで8番打者の最低のメンバー、コーチ、監督と進んで行き、途中ではネット裏でスコアーをつけたり、一時期には外野席で 応援することもあって、あらゆる立場からチームと共にその消長を眺めてきた。トレード もされず馘首にもならず、最後まで同じチームに在籍することが出来た。チームとしては 優勝には縁がなかったが、一定のファン層が今でも強力に支えてくれていると思っている。
それぞれの段階で、私なりに全力を注いだつもりだが、周囲から見れば大いに物足りない面も多かったと思う。ここに記載した、いわば各試合のスコアーは、そのときの自分の 置かれた立場から見た結果を記録した形になっている。
生来の軽薄な性格から、いつも失敗を繰り返し「大過」ばかり続けてきたが、いずれも周囲の人たちの協力を得なければ任務を遂行することは出来なかっただろう。改めてこの 場を借りてお礼を申し上げる。
丁度この仕事に関わった段階で、結婚して家庭を持ち、子供も3人授かった。この家族が苦しい時期に私を支えてくれたことは深く感謝している。
先年来長く続いた不況の中で、残念ながら私が勤務していた安川商事は消滅したが、ユーラスのメーカである村上精機を中核として、新しく経営母体も代わり、主力製品のユーラスを頭に付けた社名「ユーラステクノ (株)」に改名して健闘しているのを見ると、これまでのやったことが決して無駄ではなかったと思う気持ちが強い。またこの事業に加わった人々の中で、残念ながら既に鬼籍に入られた方が多い。この場を借りてご冥福をお祈りする。
ここに記載した内容に付いては、現在仕事を離れて数年間が経過しており、また現役時代の後半は、技術・営業の企画・支援部門が多かったために、比較的公平・冷静に物事を見る、いわば世阿弥の言う「離見の見」が出来たのではないかと思っている。言葉を換えればいささか自虐的ではあるが、「野次馬」 的見方だともいえる。
この40年間の出来事(厳密には後半の10年は殆どない。)を、私の記憶だけでは当然完全に再現することは出来ない。嘘は書かなかったつもりだが、私が正しいと思って居る事柄でも、思い違いや情報不足、皮相的見方、曖昧な記憶などによって結果的には誤った記述になったこともあるかも知れない。技術報告ではないので、その点は大目に見て頂きたいと思う。
また個人のエピソードに触れた部分に関しては、イニシャル表示ではあるが、ご本人の了解なしに載せさせて頂いた。この場を借りて、お赦しを頂きたいと思う。
先日ある製品の新聞広告に 「技術は物語である。」というコピーが出ていたが、これか ら述べる「物語」は現在のNHKの人気番組「プロジェクトX」の内容には遙かに及ばないものの、「プロジェクト×'」位には評価して貰えるだろう。
なお冒頭に自分史 「4部作」と記したが、 私はこれらを「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」と名付けて、この 「朱夏」 編を皮切りに、 残された人生の合間をみて書き続けていきたいと思っている。いわば寿命との競争である。
「青春」 は文字通りこの世に生を受けてから成人するまでの時代の記録で、あの忌まわしい第二次世界大戦前後の大きな混乱の時代に「小国民」として巻き込まれた生き証人として、若い世代に語り継ぎたいものを多く取り込もうと思っている。勿論恋あり、友情ありの輝いた面の記録も入れたい。私は気持ちは今も 「青春」であるが、常識的に年代のリミットとしてはせいぜい30歳前までくらいとする。なお一部には母が残してくれた私自身の「育児日誌」の要約も取り込む積もりである。
「朱夏」は本巻に記したように、いわゆる働き盛りの記録である。 両者は一部重複する 分もあると思うが、厳密に年代で区分したものではない。
「白秋」は後半の人生における生活の記録で、主として還暦以降の身の回りの出来事に関して、日頃感じた事などを随想の形で纏めようと思っている。約20年前に退職して北九州に引き上げて来てからずっと、毎月、身の回りの事、世の中の出来事に関する雑感を綴って3人の子供達に日記の形で提供している。その枚数は既に1000枚、3百万字を超えている。その中には各種のメディアに投稿した分、友人知人への手紙の控えなども含まれているので、これらを整理する考えで、この中にはまだ生臭くてここには書けなかった仕事に関する残りの10年の分も出来れば入れたいと思っている。
93歳で亡くなった父は、晩年膨大な日常の記録(日記ではないようだ)を残して居るが、内容によっては、これもここに一部取り込みたいと思っている。
最後の「玄冬」は、私の死後、家族や周囲の人達が何らかの形で追悼の記事を書いてくれる事を期待して設定した。従って私自身が手を掛けるのは実質3部となる。
